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雪花秀、フランスの百貨店ギャラリーラファイエットへ進出

Global 2017-05-25

アモーレパシフィック(代表理事ソ・ギョンベ)の代表的なブランド雪花秀が、今年9月フランス パリ所在のデパート「ギャラリーラファイエット(Galeries Lafayette)」に単独でストアをオープンする。

ギャラリーラファイエットはフランス最大手デパートチェーンで、世界トップクラスのラグジュアリーブランドや化粧品ブランドが入店している「ビューティーの聖地」と呼ばれるところだ。全世界の女性たちの美の基準を変えているKビューティとそれを代表するブランド雪花秀は、ギャラリーラファイエットでの単独オープンを通じてアジアの知恵を基盤とする「調和とバランス」の美しさを伝えるブランド哲学と製品力を紹介していく計画である。

雪花秀はグローバルベストセラーでステディーセラーである雪花秀ならではのシグニチャー原料で滋陰丹を作り、肌のバランスを整え、艶を与える洗顔後の最初のステップで使うエッセンス「潤燥エッセンス」と、雪花秀の50年間の研究を凝縮し世界でその効能が認められている朝鮮人参の生命力が詰まっているアンチエイジングクリーム「滋陰生クリーム」を中心に、フランスマーケットにホリスティックビューティの真髄を拡める計画だ。

また、店内は韓方をモチーフにしたデザインを取り入れ、朝鮮人参とブランドのヘリテージ材料を展示するなど、韓国を代表するブランドとしての哲学とサービスで、フランスの顧客を魅了していく方針だ。雪花秀はギャラリーラファイエットデパートの単独ショップと共にオンラインネットショッピングモールにも同時に入店が決まっている。

アジアの知恵を基にした伝統韓方科学が創り出す美の価値が、世界の主要ビューティーマーケットを動かしてきただけに、 雪花秀は今回ギャラリーラファイエットへの入店を通じ てアジア、米国だけでなくヨーロッパ市場にまで進出した真のグローバルブランドとして、世界に韓国流の東洋の美と価値を伝え、その地位をさらに固めていく方針である。 雪花秀は韓国をはじめ海外の進出先においても持続的かつ安定的な成果を出しており、アジアを代表するグローバルラグジュアリー・ビューティブランドという名にふさわしい成果を挙げてきた。2015年は、韓国の単一ビューティブランドとしては初めて年間売上高が1兆ウォンを突破し、2016年には11年連続となる韓国のデパート売上げランキング1位という偉業を達成、韓国のビューティブランドの歴史に新たなページを刻んでいる。海外での安定的な成長も評価に値する。2004年香港へ進出して以来現在までに中国、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、台湾、ベトナム、米国、カナダに及ぶ世界11の国と地域(韓国を含む)、およそ200店舗で顧客の支持を得て、目覚ましい成長を記録しているからだ。特に、世界から熱い視線が注がれる中国市場では毎年、年平均50%以上の成長を遂げ、大きな注目を集めている。雪花秀は今年のフランス市場への進出を起点に中華圏、アセアン事業を一層底堅いものにし、中長期的には新規市場を見据えた準備を続け、韓国を超えてアジアを代表するグローバルラグジュアリー・ビューティブランドに生まれ変わろうとしている。

一方、雪花秀のギャラリーラファイエット入店はビューティの発祥の地であるフランスに化粧品で挑むというアモーレパシフィックの意味深い挑戦だ。アモーレパシフィックがフランス市場に初めて参入したのは、1988年10月スーン(SOON)ブランドの輸出に遡る。スーンはアモーレパシフィックが当時17の総合病院の皮膚科専門医と共同研究で開発した低刺激化粧品ブランド「スンジョン(純情の韓国語発音)」を発音しやすくアレンジして付けたブランド名であり、仲介業者を介してフランス全域に薬局経路で販売された。そして1990年8月にシャルトルに現地法人を設立、「リリコス」ブランドの製品を生産してフランスへの進出に拍車をかけた。しかし、現地顧客を十分に考慮しないマネジメント、流通販売会社の売却による販売権の失効などで危機に陥り、スーンとリリコスの二つのブランドは撤退を余儀なくされた。

その後アモーレパシフィックはフランスの化粧品市場で大きな比重を占める香水分野を攻略するという再挑戦の戦略を練り直し、2004年4月シャルトル(Chartres)の約3万坪の敷地に最先端の設備を完備した工場を建設した。そしてアモーレパシフィックは香水ブランドのポートフォリオ強化に向け、2011年8月ラグジュアリー ブランドのアニックグタール(ANNICK GOUTAL)を成功裏に買収し、(韓国企業初の海外ビューティーブランドの買収)新たな海外市場での香水ビジネスを拡大させた。アニックグタールは1981年創設者のアニックグタールがフランスで初めての香水ブティック「アニックグタールハウス(ANNICK GOUTAL HOUSE)」を開いて以来、世界各地に11の単独ショップを運営し、約30カ国と地域で680あまりの店舗を運営し、世界にその名を馳せつつある。

アモーレパシフィックは、引き続きグローバル事業拡大に主軸を置いて取り組んでいく計画だ。5大グローバルチャンピオンブランド(雪花秀、ラネージュ、マモンド、エチュードハウス、イニスフリー)を中心にグローバル市場への進出を加速化し、次の(Next)グローバルブランドの事業基盤作りを通じて、グローバル成長モメンタムを確保していく計画だ。また、アモーレパシフィックは中華圏、アセアン、北米など主要3大マーケットを中心にグローバル市場攻略を強化して中東、西ヨーロッパなど新市場開拓のための拠点確保に本格的に乗り出す計画である。グローバルマネジメント管理基準、グローバル供給網管理体系など、業務の原則と基準(Global Operation Model)を確実に作成し、より有機的な業務連携が可能な経営インフラ構築に取り組んでいく計画を立てている

雪花秀について

アジアの哲学と知恵で調和とバランスの美を提供するホリスティックビューティブランド

雪花秀は数千年間続いてきたアジアの知恵が溶け込んだ伝説的で貴重な材料を現代の皮膚科学で新しく蘇らせ、肌の内外を総合的にケアする究極の肌ソリューションを提供、内面と外面のバランスを取り戻すホリスティックビューティを提供している。自然の理から知恵を得て、さらにその自然から得た貴重な材料で美を極め、自然な美しさを追求すると同時に、外面に表われるものだけでなく、内面にまで美しくケアしてバランスのとれた美を提供するブランド、 雪花秀。肌のバランスを整える約3千種類の材料が配合された雪花秀独自の原料である「滋陰丹™」と、雪花秀にしかない効果成分をもたらす優れた品質の「朝鮮人参」、さらに最先端の皮膚科学である「バイオコンバージョン技術」で、雪花秀は韓国を越え、世界にホリスティックビューティの価値を広めている。2017年現在、雪花秀は韓国をはじめ中国、シンガポール、香港、タイ、インドネシア、マレーシア、台湾、ベトナム、アメリカなど11の国と地域に進出、アジアンビューティクリエイターとしてその存在感を高めている。

雪花秀、グローバルラグジュアリー ビューティ ブランドとしての成果

点が集まり全体を成すという観点で世界を見つめる東洋的な考え方から始まった雪花秀は、自然と人間、体と心は一つであるとみて、調和とバランスを重視するブランド哲学を維持してきた。それを基に雪花秀が目指す「ホリスティックビューティ(Holistic Beauty)」は、数千年間にわたって伝わってきた貴重な材料を現代の皮膚科学で新しく蘇らせ、 総合的な肌ソリューションを提供する。外面に表われた問題だけでなく、その根本にある原因にまでトータルでケアし、体と心、内面と外面のバランスを取り戻す本物の美を創り出すということだ。こうしたブランドの根幹と製品力で雪花秀は進出各国で驚くべき成果を挙げている。

韓国で築きあげた揺るぎのない成果、最高のブランドを作る
内面と外面のバランスの取れた本物の美を追求するブランド哲学、潤燥エッセンスと滋陰生クリームなど、優れた製品力で雪花秀は韓国の消費者に長年愛されており、唯一無二、ライバルのいない最高のビューティーブランドとしての地位を維持している。雪花秀は 2005年から11年連続、韓国のデパート売上ランキング1位の座を守っており、2016年決算締めの実績基準によれば、韓国市場において前年比約40パーセントに近い成長を記録した。なお、2016年7月に発表された仁川空港免税店の売上げ実績では、化粧品ブランド1位を2年連続で固く守り抜いた。特に世界的な景気低迷による内需拡大の重要性が叫ばれる中、経済の重要構成単位である企業やブランドにも内需活性化への役割が期待されている。こうした中、雪花秀は韓国国内での販売経路を利用した素晴らしい販売実績をあげて内需活性化に貢献している。雪花秀は数々の国内外のビューティブランドがしのぎを削っている状況でも固く首位を守り、韓国の誇りとしてその名を輝かせてきた。そして今や韓国を越え、アジアビューティブランドとして位置付けられている。

雪花秀のホリスティックビューティ、グローバル市場で輝く
雪花秀はアジアの知恵が息づいている希少材料と現代の皮膚科学で調和とバランスを取り戻すホリスティックビューティブランドというアイデンティティーを基に韓国を越え海外にまで活躍の場を広げている。2004年香港に初進出して以来雪花秀は現在、中国、シンガポール、タイ、インドネシア、 マレーシア、台湾、ベトナム、米国、カナダまで世界11の国と地域に進出しており、海外市場でも素晴らしい成果をあげている。 このように雪花秀がグローバルラグジュアリー・ビューティブランドでありながらアジアンビューティクリエイターとしての存在感を高め、世界の消費者に愛されている理由は、優れた品質はもちろん製品一つ一つに宿っているブランドの哲学と目指すべき価値が消費者に響いているからだろう。現在、海外の10カ国で持続的な売上成長を記録しており、雪花秀が進出先の消費者を対象に実施した利用実態調査(Usage & Attitude調査)結果を見ると、雪花秀に対する海外消費者の認知度および製品への満足度と忠誠度もまた増加傾向にある。

韓国の単一ビューティ ブランドとして初めて年間売上高1兆ウォン達成という大記録達成
雪花秀はアジアを代表するグローバルラグジュアリー・ビューティブランドという名の通り、国内外で安定的な成果を出しており、2015年韓国の単一ビューティブランドとしては史上初めて年間売上高1兆ウォン突破という偉業を達成した。雪花秀は韓国や海外消費者の揺るぎのない信頼と支持を受け製品、販売経路、進出国という3つの項目で安定的な成長をしたことで、素晴らしい快挙を成し遂げることができた。滋陰生クリーム、パーフェクティングクッションなど、従来のベストセラーが消費者から根強い支持を得ており、珍雪アイクリーム、 潤燥エッセンスなどアップグレードした製品とパーフェクティングクッション・ブライティングのような新製品が雪花秀ならではの製品力を証明して人気を博し、ブランドの売上向上を牽引した。韓国内での販売経路としては免税店、デパート、訪問販売、デジタルなど、様々なチャンネルで軒並み成長を続けている。海外も同様、中華圏、アセアンを始め、進出国でいずれも偏ることなく成長を遂げ、ブランドの高成長の追い風となった。雪花秀は2016年締め基準、前年比韓国国内外で40パーセントに近い成長を記録した。雪花秀が築いている美しい成功はまだ現在進行中である。

雪花秀、グローバル進出のヒストリー

2004年香港に初めて進出して以来、雪花秀は現在中国、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、台湾、ベトナム、米国、カナダまで、世界11の国と地域に進出してアジアの美を世界に広めている。

グローバルビューティのメインストリームと呼ばれる香港で「韓方化粧品、雪花秀」が底堅い地位を確保できたことは驚くべき出来事だ。「もっとも韓国的なものが最も世界的なもの」という強いメッセージが盛り込まれているブランドの出発点から、雪花秀の哲学と信念が溶け込んだ貴重な材料と先端技術開発に至るまで、他のどのブランドも容易に真似できない努力と歴史が世界的に認められ、その存在感を高めている。

  • 香港 (2004年進出)
    香港は雪花秀の最初のグローバル進出先であり、雪花秀は香港のホットプレイスと呼ばれるモンコック(Mongkok)、チムサーチョイ(Tsim Sha Tsui)、コーズウェイベイ(Causeway Bay)、セントラル(Central)、アドミラルティ(Admiralty)など、主要店舗で厚い支持を集めている。特にグローバルブランドの激戦地である香港で雪花秀は興味深い軌跡を辿っている。雪花秀は優れた品質だけでなく、スパサービスなど、様々な分野で香港の女性たちから注目され、愛され、香港を訪れる中国本土からの観光客からも絶対購入したいブランドとなり、その地位を固めている。
  • 米国 (2010年進出)
    雪花秀はアジアの哲学論理と韓方材料に関するストーリーがあるブランドである。こうしたブランドアイデンティティーを基に雪花秀は外面の美のみならず内面の美にも関心がある西洋の人々に、神秘に満ちた東洋のラグジュアリーブランドであるとの認識を拡大させている。実際、米国ニューヨークの最高級デパートであるバーグドルフグッドマンが、店内デザインに雪花秀ブランド固有の梅花柄や雪花秀ロゴマークなどを前面に押し出すインテリアを許可したことは、異例の配慮であり、業界内で多大な関心を集めた。
  • 中国 (2011年進出)
    世界のビューティー業界が注目する中国市場で雪花秀はどのグローバルビューティーブランドと比べても追随を許さない唯一の存在と言える。2011年3月、中国に初進出して以来、雪花秀は中国の女性たちから肌に良い韓方ビューティーブランドとして、またラグジュアリー・ビューティーブランドとして愛され続け、2017年第1四半期現在、北京を代表する高級ラグジュアリーデパートである新光天地をはじめ、北京、上海など主要都市の最高級デパート116店舗に入店している。また、中国メディア「人民網」が2014年9月に発表した「中国人が最も愛する韓国のラグジュアリーブランド」調査で韓方化粧品部門を受賞し、2015年10月に発表した「ヨウカー(遊客:中国人観光客)満足度調査」の化粧品部門を受賞、2016年7月にも「中国人が最も愛する韓国のラグジュアリーブランド」調査の韓方化粧品部門で受賞を果たす成果をあげた。それだけでなく、中華圏のアカデミー賞と呼ばれる「金馬奬」を受賞した女優「梁静」が雪花秀の店舗で直接製品を購入しているとのうわさが広がり、一層大きな支持を集めるようになった。雪花秀は2016年9月成都のブランド街であり、トレンドの中心地である「太古里」に中国100号店をフリースタンディング方式でオープンし、雪花秀の差別化された経験を提供、ホリスティックビューティーの価値を中国国内に伝えている。
  • 台湾 (2012年進出)
    雪花秀は2012年9月、台北SOGOデパートに1号店をオープンすることで台湾に進出した。グローバルベストセラーである潤燥エッセンスは台湾でもベストセラーとなり、有名メイクアップアーティストとのコラボで話題を集めているパーフェクティングクッションなどの人気に後押しされ、台湾でも雪花秀は高い成長率を記録している。雪花秀はブランドが目指すホリスティックビューティーの価値を現地に合わせたストーリーテーリング技法で伝え熾烈な競争が繰り広げられている台湾のラグジュアリー・ビューティー市場でブランドの認知度を差別化・強化させている。特に台湾の人気メイクアップアーティスト「ケビン」やビューティー・インフルエンサー「ジゼル」らセレブが愛するビューティーブランドとして人気を博している。2015年3月には台北中心地にある台湾の代表的なラグジュアリーデパート「三越A8」に台湾で4番目の店舗をオープンし、現地の女性たちの注目を集め、6月には台湾現地メディアおよびオピニオンリーダーが大勢出席して第4世代の潤燥エッセンスリリースイベントを盛況裡に開催した。
  • タイ (2012年進出)
    最上流階級の「ハイソ(High-Societyの略した言葉)」を中心にビューティートレンドに敏感に反応するアジアのビューティ大国、タイで雪花秀は有名芸能人とビューティーリーダーを中心にmust haveブランドになりつつある。特に新しい美容方法を提示した雪花秀の潤燥エッセンス、ミアンフィニッシャー、パーフェクティングクッションなどの代表商品が人気を集めている。タイ進出から3年を迎えた2015年はタイの主要マスコミと芸能人、流通関係者をはじめ、約200人の「ハイソ」を招いて大規模イベントを開催し、話題となった。
  • シンガポール (2012年進出)
    2015年7月、雪花秀はシンガポールの歴史的・経済的ランドマーク、「キャピトルシンガポール」にグローバル100番号店をオープン、グローバル進出の歴史に新たな1ページを刻んだ。「キャピトルシンガポール」はブランドを完璧に表現した展示スペースと雪花秀の全製品を体験しながらカウンセリングを受けることができる体験スペースやスパの利用が可能なビューティーラウンジなど多彩な構成となっている。さらに現地顧客に差別化された経験を提供するための製品とサービスも提供している。
  • ベトナム (2013年進出)
    雪花秀は2013年7月、全世界の数々のコスメティックブランドが先取りしているベトナムホーチミン・ダイアモンドプラザ(Diamond Plaza)に初めて店舗をオープンし、韓国の伝統的な韓方化粧品としての名声を上げつつある。そして、進出初年に最も権威のあるビューティーマガジンが選ぶ2013年ベストエッセンスに潤燥エッセンスが、2014年にはベストメイクアップ製品にパーフェクティングクッションが選ばれ、製品力が認められており、2015年12月にはパークソンデパート(Parkson Department Store)に2号店をオープンして雪花秀ブランドの地位とブランド名を強固なものにした。また店舗拡大を活発に行い、前年比100パーセント以上の成長率を記録、成長に拍車をかけている。
  • マレーシア (2013年進出)
    マレーシアではローカル色とともに様々なインターナショナルな感性が融合した都市であるクアラルンプールに2013年1号店をオープンした。また、多くのマレーシア女性にとってロールモデルといえるChris Tong、ファッションデザイナーCelest Thoi、TVプロデューサーのElyna Effendiなどが愛用するブランドとして知られ、現地の女性から爆発的な関心を浴びている。現在、パークソンパビリオン(PARKSON Pavilion)デパートをはじめ10店舗で専門家による繊細なカウンセリングを通じてマレーシア顧客との絆を深めている。
  • インドネシア (2013年進出)
    ラグジュアリー・ビューティーブランドの市場規模が大きくないインドネシアで上げた成果はより大きな意味を持っている。2013年9月セブグランドインドネシア(Seibu Grand Indonesia)入店を皮切りにインドネシアでリリースを始めた雪花秀はその後、ジャカルタ地域の主要ラグジュアリーデパートに入店し、成長を続けている。特に友好関係にあるシンガポールのセレブや著名人などはもちろん在韓インドネシア大使の夫人たちが雪花秀製品を使っているとの口コミが広がり、雪花秀はインドネシアで上流階層なら必ず購入するべきラグジュアリーブランドとなりつつあり、前年比60パーセントの売上成長率を記録しながら持続的成長軌道に乗っている。
  • カナダ (2015年進出)
    2015年9月、雪花秀はカナダのラグジュアリーデパートであるノードストロームに入店、カナダに進出した。東洋の神秘を秘めた真心溢れるブランドストーリーと肌を根本から改善する製品力で現地顧客の間で認知度が急増している。

※ 17年3月締め基準、国・地域別店舗数

進出先 進出時期 店舗数(基準)
香港200411
シンガポール20129
台湾201212
タイ201215
中国2011116
マレーシア201310
インドネシア20137
ベトナム20134
米国/カナダ2010/201511

雪花秀の主要沿革

  • 1966年 | 雪花秀の母体「ABC人参クリーム」の誕生
  • 1972年 | 朝鮮人参の有効成分抽出の特許取得
  • 1973年 |「ジンセンサンミ」発売
  • 1987年 | 朝鮮人参から化粧品を作る技術力を基に多様な韓方材料から効能成分を抽 出、 韓方化粧品の土台を作った「雪花」発売
  • 1997年 | アジアの美の真髄が溶け込んだ韓方材料のノウハウと有効成分抽出技術を 基に現在のブランド名である「雪花秀」リリース。 肌のバランスを整える雪 花秀のシグニチャー処方「滋陰丹™」を主な原料とする潤燥エッセンスを発売
  • 2000年 | 朝鮮人参研究の集大成と言える滋陰生クリーム発売
  • 2004年 | 香港にブランドアイデンティティーと差別化されたサービスを提供する海外 初の直営ストアオープン
  • 2006年 | プレステージライン「珍雪」リリース
  • 2008年 | 韓国的な美の感覚と韓方皮膚科学の真髄が詰まった「雪花秀スパ」オープン
  • 2010年 | 米国の由緒正しいデパート、ニューヨークの「バーグドルフグッドマン(Bergdof Goodman)」に入店
    2010ソウルG20サミット公式贈り物に選定
  • 2011年 | 雪花秀、中国へ進出/ 2011ソウルG20国会議長会議の公式贈り物として贈呈
  • 2012年 | 雪花秀、シンガポールタングスデパート、台湾SOGOデパート、タイセントラ ルチットロム入店
  • 2013年 | 雪花秀、ベトナム、マレーシア、 インドネシアへ進出 ミアンフィニッシャー発売、パーフェクティングクッション発売
  • 2014年 | | 潤燥エッセンス、韓国単一ビューティーブランド製品として初めて累積販売額1兆ウォン突破 ジャヨジンエッセンス(Capsulized Ginseng Fortifying Serum)発売 中国の人民網及び韓国マーケティング協会が選ぶ「中国人が愛する韓国ラグジュアリー化粧 品」に選定
  • 2015年 | 韓国の単一ビューティーブランド初の年間売上高1兆ウォン達成 シンガポール「キャピトルシンガポール」に雪花秀グローバル100号店オープン 2015世界教育フォーラムの公式贈り物として贈呈
  • 2016年 | 朝鮮人参のヘリテージから始まったブランドの母体ABC人参クリーム誕生50週年 雪花秀フラッグシップストアオープン中国成都のブランド街でありながらトレンドの中心地、「太古里」に中国100号店オープン
  • 2017年 | 9月フランスのデパート、ギャラリーラファイエット進出

アモーレパシフィックフランスの
事業ヒストリー

*アモーレパシフィック70年社史の主要内容のまとめ

「化粧品の本場フランスで激賛された品質とデザイン」。1992年5月に「テピョンヤン(太平洋)のスンジョン(純情)がフランスでオースカ賞を受賞したというニュースが主要マスコミを通じて報じられた。オースカ賞はフランスのコスメティックニュース(cosmetique news)が厳しい審査基準と厳格な審査過程を経て授与する賞である。ランコム、クリスチャンディオール、シャネルなど300あまりの化粧品ブランドの内、 17ブランドのみがこの賞を受賞している。部門別では、パッケージ部門でゲラン、ディスプレー部門でアラミス、キャンペーン部門ではシャネルが受賞し、スンジョンは薬局経路の品質とデザイン部門大賞を受賞した。フランス市場に進出したアジアの化粧品がこの受賞したことは異例で驚くべき出来事だった。

世界的企業と競うにはアジアで認められるだけでは十分ではないと判断した太平洋は大胆に化粧品の本場であるフランスへの進出を課題として設定した。フランスを見据えた太平洋の最初の試みは低刺激性化粧品だった。スンジョンは当時17の総合病院の皮膚科専門医と共同研究を経て開発したブランドだった。皮膚への安定性テストを無数に繰り返した末、1988年3月、敏感肌のための低刺激性化粧品であるスンジョンを発売することができた。スンジョンは太平洋の化粧品の中で最も刺激が少ない製品である。米国の安定性測定専門機関RTL(Research Testing Laboratories)の実験結果、海外の敏感肌専門化粧品よりもスンジョンの安定性が15倍も高かった。肌への刺激面で世界最高水準と公式的に認められたわけである。スンジョンのグローバル進出に追い風が吹いたと言える。

その後スンジョンは発音しやすい「スーン(SOON)」にブランド名を変え1988年、仲介業者を介してフランスに進出した。しかし、化粧品仲介業者の内部事情で倒産したり、合併したりして輸出の道が開いては閉ざされることの繰り返しだった。太平洋は1990年8月、シャルトルに現地法人を設立し、フランス進出を本格化させた。一部のフランスの関係者からは「勇敢だが無謀な挑戦」と厳しい意見が出た。しかし、1991年一年間スーンはなんと13億ウォンに達する販売高をあげて衝撃を与えた。フランス全域にある薬局を集中的に攻略し、その内1700カ所で販売したことが成功の要因だった。

スーンの活躍で太平洋のフランス現地にある化粧品工場にも関心が集まった。太平洋は1990年パリから西南方向へ85kmほどのシャルトル市にある化粧品工場を買収した。1980年代後半からソ・ソンファン会長(当時)は、海外で化粧品を生産するための準備をしていた。ちょうどシャルトル市のコスメティックバレーが目に入った。こちらには材料はもちろん、包装材や副材料を生産する業者が集中しており、良質なインフラが整備されていた。世界的水準の化粧品メーカーが集まっている地域で、韓国の化粧品業界の代表という心構えで工場を立ち上げた。

シャルトル工場で新しくリリースしたブランドはリリコスだった。フランスを土台に世界へ躍り出る計画を踏まえ、他とはかぶらないネーミングであるLIRIKOSに決めたのだ。しかし、フランスでは外来語に「K」や「Y」をあまり使わないということを見落とし、「メードインフランス」にもかかわらずフランス産製品ではないようなイメージを与えてしまった。さらにフランスの女性たちの化粧習慣などを十分考慮せずに製品が構成されたため、現地での反応は思わしくなかった。また、社員のほとんどが韓国人で、韓国でのオペレーション通り運営されていたため、韓国企業と言えるような状況だった。泣き面に蜂とでも言うべきだろうか。流通・販売を担当していたフランスのパートナー社がグローバルビューティーグループに売却されてそれまで保有していた販売権まで失ってしまった。まさにフランス事業に暗い影がさした状態だった。事態を把握するためにすぐさま現地入りしたソ・ギョンベ社長の目に映った光景は、薬局のショーケースの隅でほこりだらけになったままのスーンだった。

品質だけを信じてディテールな部分を考慮しなかったことが問題でした。化粧品を使う習慣が違えば化粧品の容量からなにもかも変えなければならない。世の中のお客さまは一人一人全部違うという事を痛感しました。直接経験しなければマーケットとお客さまについて知ることはできないという事も学びました。今も私はよく「80%はお客さまを見て、15%は競争相手を見て、残りの5%は歩んできた過去を見てください」と社員に語りかけています。フランス市場からスーンの撤退を決めたその時以来、どうすればお客さまの心が離れないだろうかを真っ先に考えています
– ソ・ギョンベ会長

フランス事業の撤退を決めてからスーンは全量回収して焼却した。「悔しくて涙が出そうな気持ちだった」とソ社長は明かした。しかし、成長のためには必ず乗り越えなければならない痛みだった。身をもって得た経験は、フランス市場の表面ではなく、彼らの生活と文化まで深く理解する力を育ててくれた。太平洋は従来の事業を整理した後、再びフランス市場に目を向けた。スキンケア製品が主流を成す韓国と違ってフランスは香水の割合が高い。女性一人あたり4種類の香水を持っているほど香水の使用が生活の一部となっていた。また新しい製品に対する顧客の反応が早く、比較的短期間で成敗がわかるのも長所に見えた。ソ・ギョンベ社長がフランス市場へ再度挑むカードはこの香水だった。そして今回は現地化を通じて勝負に出た。

熾烈な競争が繰り広げられているフランスの香水市場で勝負に出るため、ユニークな価値を示せるデザイナー香水を発売することにした。そこで、有名デザイナーよりは独特の感性を持っている新星デザイナーを探した。「ロリータレンピカ」。明確な作品世界が印象的なデザイナーであることが名前から伺えた。1995年12月、ロリータレンピカと一緒に香水を作ることで合意、それを担当する別途のPLL(Parfums Lolita Lempicka)を設立した。世界的に有名な最高の調香師も合流し、従来の香水には使われていない新しい香りを作るための工夫をした。約3か月間、数百種類に及ぶ香りを組み合わついに、アニス、バイオレット、アイリス、バニラ、トンカ豆などが調和を成す試製品が完成した。甘いキャンディを連想させる甘草の香りに、成熟したオリエンタルフローラルの香りを足すと、純粋だったあの頃の思い出が蘇ると同時に官能的なイメージを放つ独特な香りが誕生した。

「ロリータレンピカ」の初めての香水名はその名の通り「Lolita Lempicka The First Fragrance」だった。ユニセックス向けの香水が旋風的な人気を集めていた当時、ロリータレンピカの女性らしい香りそのものが新鮮だったわけだ。フランスの女性は最初は強い香りに驚いているようだったが、その後感じられる残り香の甘さに魅了された。独特な香水瓶も絶賛された。四角い容器ではなく、禁断の果実が浮かぶリンゴの形の容器に、世界初の試みであるultra slender噴射式でリンゴの茎部分から香水が出るようにした。

1997年12月、フランスのファッション業界の関係者の間でロリータレンピカというブランドが話題を集めるようになった。初めて紹介されるブランドであるだけに、凝った戦略も必要だった。初期の流通をデパートと香水専門経路に絞ることにし、500カ所のみを選んだ。それを「Club of Excellence」のメンバーにグルーピングしてサンプルを提供、販促活動に取り組んだ。初回生産量を決め、希少価値を付与すると狙い通り、ロリータレンピカを求める取引先が急増した。そして1998年市場におけるシェアが1%を越えた。その春、FIFI Awardsで「今年の香水」に選ばれる栄光も手にした。1999年1.4%だったシェアは毎年増加し、5年で2.8%へと倍増し、フランスの香水市場で4位に跳ね上がった。当時の市場シェア1位だった「エンゼル」が4.4%、2位の 「シャネルNo.5」が3.9%だったことを踏まえると、実に素晴らしい成果だったと言える。そして2006年7月27日、フランスの最高勲章である「Legion d’Honneur」の授与式が行われ、韓国とフランスの経済協力や友好関係の強化に貢献した功労が認められ、胸元に輝く勲章を付けたソ・ギョンベ会長が檀上に立った。

フランス市場へのアモーレパシフィックの挑戦は数々の実を結んでいった。ロリータレンピカですでに意味ある成功を成し遂げた経験はあるが、デザイナー香水だけでなく、より会社の哲学と価値を積極的に共有できる香水ブランドで、美の偉大な旅を拡大したかった。M&Aの対象会社を決めるまでじっくり検討し、考えた。ソ・ギョンベ社長(当時)は独自のストーリーをもちながらアモーレパシフィックのビジョンにも通じるところがあり、共に完成させていける企業でなければならないという基準を持っていた。ブランド哲学から製品力、真似できない魅力まで、色々な要素を考慮し、2008年から2年間で100社あまりの企業を調べ、最終的に「アニックグタール(Annick Goutal)」に注目した。

香水ブティックであるアニックグタールハウスはピアニストだったアニックグタールが1981年、自身の名前をかけて設立した会社だった。30年の伝統がある「ハイパヒューマリー」の代名詞としてフランス、米国、日本など、世界中に多くのファンがあった。印象的だったのは自然から得た最高級の香料にこだわるところだった。そしてそれはアモーレパシフィックが目指すイメージと一致したのだ。アニックグタールの香水には製品ごとに愛の誓約を結ぶプロポーズの瞬間、異国の旅先での記憶、リゾートで見た新鮮な風景などの場面が表現されているところが新鮮だった。

2011年7月、ついにアモーレパシフィックは韓国企業として初めて海外ビューティーブランドであるアニックグタールを買収した。そしてアモーレパシフィックはブランドポートフォリオを強化し、フランスの工場生産設備を利用して相乗効果を生み出すことができた。比較的小規模のグローバルM&Aを通じて様々なノウハウを蓄積したことも有意味な成果と言える。アモーレパシフィックの代表的な香水ブランドとして生まれ変わったアニックグタールは現在、米国とイギリスなど、グローバルデパートをはじめ、世界の11の単独ショップ、約30カ国680店舗を運営して世界的にその名声をあげ続けている。

アモーレパシフィック フランス事業の主要ヒストリー

  • 1988年 10月 | SOON フランス輸出
  • 1990年 9月 | フランス法人及び工場の設立
  • 1997年 4月 | ロリータレンピカブランド発売
  • 2004年 4月 | 新工場の竣工
  • 2006年 7月 | ソ・ギョンベ会長(当時社長)レジオンドヌール受勲
  • 2011年 8月 | 韓国初の海外ビューティブランドアニックグタール買収
  • 2017年 9月 | 雪花秀ギャラリーラファイエットに進出予定

[アモーレパシフィック ヨーロッパ事業の売上高推移] *単位: 億ウォン

年度 2012 2013 2014 2015 2016
売上高 855 904 813 655 681